diaguro’s diary

内向型人間の生き方をテーマにしたブログです。

51対49の法則

肯定と否定。光と陰。善と悪。表と裏。楽と苦。どちらか一方だけでは物事は成り立たない。どちらも引き受けなければならない。そして人間の心は肯定と否定の間を行ったり来たりするようになる。そこでアイデアが浮かんだ。人間の1日の心の動きを100とすると、肯定=51、否定=49に調整できないだろうか?、というアイデアだ。

 

人の心はリラックスとストレスのバランスを適度に保つことで安定する。忙しい現代人のストレスは勝手にどんどん膨らんでしまうから意識してリラックスしないとバランスが崩れる。だから今を幸せにする工夫が必要になる。心の中の肯定を1%でも多くすることができれば、それが積み重なって大きな変化が起こるはずだ。

 

 

ミクロからマクロまで

仕事の帰りに夜空を眺めていたら「ミクロからマクロまで」という動画を思い出した。古い動画なので画質の劣化は否めないが、視聴していると不思議な世界にのめり込んでいく。

 

公園の芝生の上で人が寝転がる場面から始まる。そこからカメラがどんどん遠ざかり、地球全体がモニターに映し出され、それから太陽系、銀河系、銀河団へと広がって拡大が止まる。

 

今度は収縮が始まる。カメラはどんどん地球に近づいて、芝生の人間へと逆戻りする。そして人間の皮膚の隙間から内部へと入っていく。DNAの螺旋構造から更に細部へと深く入り、原子、陽子、中性子クォークが映し出されて終了。

 

外の世界は銀河団で終わりではなく、人間の内部の世界もクォークで終わりではない。その先は無限のように感じる。そんなことはあり得ないと思うが、意識すればするほど、この世界は本当に現実なのかと疑いたくなる。もしかしたらコンピューターが創った仮想現実ではないだろうか?、という疑問さえ湧いてくる。

  

頭の中で妄想が進むと奇妙な仮説が浮かんだ。もしかしたら宇宙は膨張と収縮を繰り返して、ゴムのように伸びたり縮んだりしているのかもしれない。という仮説だ。

 

宇宙がビッグバンの爆発で動き出すと膨張が始まり無数の星が出現する。銀河系、太陽系、地球が形成され生命が生まれる。数十億年が経過すると地球は寿命で消滅する。宇宙の膨張が更に進み、太陽が膨張して太陽系が崩壊する。銀河系も消えてなくなる。やがて宇宙の膨張が止まる。

 

ここからが仮説だ。誰もが考えそうな仮説なので既に発表されているかもしれないが、ブログのネタにはなりそうだ。

 

宇宙の膨張が止まると今度は収縮して、今までの行程が逆方向で動き出す。銀河系、太陽系、地球が姿を現して今の時代が出現する。老人が赤ん坊になり、お母さんのお腹の中に戻っていく。令和の時代から縄文時代に逆戻り、地球の誕生、そして宇宙はビッグバン直前に戻っていく。

 

収縮が止まるとまたビッグバンで爆発。膨張が止まるとまた収縮。これを永遠にくり返す、という仮説だ。そう考えると人間は自由意志を持たないことも納得できそうだ。

 

 

 

人間の本質

子供の頃は自分の本質と繋がっていたと思う。でも組織の歯車になって動いた瞬間、本質は忘れ去られて、そんなものが在ったことすら思い出せない。

 

探求家のグルジエフが「人間の本質」について分かりやすく解説している。

 

以下、「」内がグルジエフの引用である。

 

「本質は人間が生まれながらに持っているもの、つまりその人自身のものである。本能的な好き嫌いなども本質。人格は生後育った環境において身につけたもの、つまり言語、動作、価値観など、これらは本質的なものではない。本質が人間の真実であり、人格は仮面である。人格の本当の能力は本質を支え、本質の発現を可能にすることにある。したがって本質と人格が平行して発達するのが理想的な人間の発展であるが、そうしたケースは希にしかみられない。特に今日の文化がもたらした生活環境においては非常に希である。人は生まれるとすぐに必要以上に強力な外部の影響を受け、本質の成長が阻まれる。本質が人格という分厚い外皮に覆われて、また、人は身につけたものは何でも自分自身のものと考える傾向があるので、本質と人格を区別することは非常に難しい。」

 

グルジエフの解説を鵜呑みにするならば、自分自身の世界を取り戻すことは不可能に近いと解釈できる。外向型人間は本質のことなど、すっかり忘れているから難しいことは考えないで心にフタをすればいい。でも内向型人間はそれを見過ごすことができない。だから苦しむことになる。

 

心の底からやりたいことなんて幻かもしれない。でも絶対にやりたくなかったものは今も昔も変わらない。それは人間歯車だ。やりたいことが見つからないなら、やりたくないことから抜け出す方法を考えることにしよう。

 

  

バッテリー交換

 

水曜日の夜、車が突然動かなくなった。そろそろバッテリーの寿命が近いと思っていたが、ついにその日がやってきた。とりあえず取扱説明書を開いてバッテリーの型式「38B19L又は40B19L」をメモした。

 

この前の日曜日は隣町まで用事があった。ついでにオートバックスに寄ってオイル交換をしたばかりだ。いつもと同じように車は動いていたので、バッテリーの状態まで気にしなかった。今思えばあの時に見てもらえばよかったと後悔している。まだ大丈夫だろうと出費を惜しんで、判断が遅くなってしまった。

 

車が動かないから歩いてバッテリーを買いに行かなければならない。自宅から一番近いガソリンスタンドで買うと6600円。思ったよりも高価なので1キロほど離れたホームセンターまで行ったら5148円で売っていた。もっと安いバッテリーを求めてスマホで検索すると、イエローハット4378円。でもイエローハットまでは自宅から3.5キロも離れている。重たいバッテリーを抱えて歩くには厳しい距離だ。

 

ホームセンターに陳列されているバッテリーを持ち上げてみると、ずっしりと重く感じる。それでも軽自動車用の小さいバッテリーなので、自力で持ち運ぶことはできそうだ。これを買って帰ろうかと思ったが、少し冷静に判断することにした。

 

ホームセンターで買うか、イエローハットで買うか、それが問題だ。イエローハットで買った場合770円お得だが、重たいバッテリーを抱えて約2.5キロも余計に歩かなければならない。

 

バッテリー交換の当日は穏やかに晴れていたので、散歩がてらイエローハットまで歩くことにした。10時の開店とともに入り口付近でバッテリーを見つけると、4298円(消費税8%のまま)で価格表示されていて、ちょっとだけ安く買えた。

 

 レジで2枚重ねた袋に入れてもらって歩き出すと、想像していたよりも重たい。少し歩いては持つ手を換えながら、自宅マンションの駐車場にたどり着いたのが11時。作業手順はメモしておいたので、特に問題もなく、昼食前にバッテリー交換を完了。

 

購入したバッテリーの箱を何気なく見ると、重量が9.2キロと記載されている。持った感じで5キロくらいだと勝手に思いこんでいた。もし実際の重量を事前に調べていたら、近くのホームセンターで買ったかもしれない。合理的な判断をする人から見れば、ずいぶんと遠回りなことをやっているように見えるかもしれないが、無駄な時間を過ごしているような経験から、何かを感じ取っているのである。

 

自分の道具を自分で修理して使うことが、すっかりなくなってしまって、車の調子が悪くなればオートバックスに持っていくだけ。パソコンが壊れた時は、ハードディスクを破壊してから業者に引き取ってもらった。物を処分するにも手間はかかる。でもそれを修理して使うことは考えない。資源がどんどん枯渇しているのに大量消費は止まらない。

 

合理的な体験をいくつも積み重ねても面白い話には発展しない。だからあえて非合理的な体験を無意識に選んで行動しているような気がする。バッテリー交換作業で貴重な休日の半分を失ってしまったが、今回の些細な出来事が、マンネリ化した休日の過ごし方を見直すキッカケになることを期待している。

 

 

 

がむしゃらな体験

はてなブログ」に登録したのがゴールデンウイーク最後の5月6日。「はてな」からのメールでブログコンテストのことを知ったのが5月17日。コンテストのテーマ「迷いと決断」が妙に心に引っかかっていた。

 

まさかブログコンテストにエントリーするなんて想定外のことだったが、気がつけばエントリーを決めていた。半年前にタイムスリップすれば書くことなんて山ほどあると思っていたが、いざ書いてみるとイメージ通りに物事は進んでくれない。

 

壁にぶち当たって、とりとめのない文書と格闘して、それでも納得のいく文書は書けそうもない。エントリーを諦めかけた時に、「がむしゃら」に何かをやることを思い出した。

 

昔はもっとねばり強かったはずだ。

 

最近はすぐに心が折れてしまう。軟弱になってしまった自分をどうにかしなければならない。だからやれるだけのことはやってみよう。そして何度もしつこいくらい編集をくり返して、締め切り直前でようやく記事を投稿できた。